日本の寄付文化は欧米に比べてかなり弱いので、その点ではよいと思います。
問題を感じるのは、「匿名」で「ランドセル」を送るという行為です。 私はあえて「贈る」ではなく「送る」と書きます。 タイガーマスクの名であろうとなかろうと関係ありません。 「匿名」で「特定の年の子しか必要としないもの」を送る行為と言ったほうがわかりやすいでしょうか。 私にはどうも、流行にのって悪乗りした偽善にしか見えません。 どこにだって需要と供給はあります。 それを無視して、流行にのって、ランドセルなどを送りつけるという行為には無責任さを感じてしまいます。 マスメディアは、施設職員の喜びの声ばかり取り上げていましたが、名前も顔も見えない相手から送られた物が本当に嬉しいのでしょうか。「気味が悪い」「うちはランドセル必要ない」「どうせなら違う色がよかったと言ってる子がいます」「お金でもらえたらもっと必要なものあったのに」という声は本当になかったのでしょうか。 そもそも、自分の名前も住所も書かずに、一方的に送るという行為はいかがなものでしょうか。 自分の住所名前がないと、住所の書き間違いや何らかの理由で届かない場合も差出人に戻ってこない。 「到着してもしなくても、あとは知ーらない、私はなんて良い行いをした、素晴らしい人間だ。」 これは無責任な偽善者でなくて何でしょう。 ではもし、送る側で送り先の施設などに事前に連絡をして、必要なランドセルの個数を聞いて送るならよいのでしょうか。それでも、それぞれ好きな色や形があるわけで(今のランドセルはカラフル!)、どうせ買うなら子どもの希望を満たすものと予算の兼ね合いで買ってあげるでしょう。子どものことを本当に思うなら。 そうではない一連のタイガーマスク運動には「施設なんだから、タダでもらえるだけで嬉しいでしょう。今はランドセルが流行ってるからとりあえず送っておこう。喜ぶんでしょ、これで。ああ面白い。ニュースで取り上げtられたらもっと面白い」と言わんばかりの差別的で強引で無責任な偽善が見え隠れしていて気持ちが悪い。全くもって、心あたたまる話ではなく違和感を感じていた。 「同情するなら金をくれ!」(古いね)というのもちょっと違うと思いますが、どうせお金でものを買って送るなら、お金の寄付のほうが良いと思う。 施設の職員さんは「馬鹿にするな、うちはランドセル1個もいらないわ!ランドセルより新品の洋服買って着せてあげたいのに!」と堂々と言ってよいと思う。 マスメディアは、心温まる話としてタイガーマスク運動を賞賛し、無駄に煽り、施設職員に「喜びの声」をインタビューをするのをやめてほしい。 そして例えばもしお金がなくても良い行いをしたいなら、良い行いをしたい場所を探し、直接出向いて手伝えることは何か、聞けばいい。誰が何を必要としているのか、想像できず、尋ねることもできなくなってしまったら、良い行いなんてできるわけがないでしょう。 タイガーマスク運動は、コミュニケーションを拒否した強引で無責任な偽善である。 誰が何を必要としているか考えたり想像力をもち、実際に調べたりもして、贈った後は、実際に子供たちや職員さんと向かい合ってほしいと思う。 これから日本にも寄付文化は広まると思うが、寄付をする上でのモラルも大切にしてほしい。
by channelp
| 2011-02-20 02:21
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