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ちゃんとしてなくたって生きてていい

年の瀬名物、夜更かし記念にもうひと投稿。

今年は、やりたいこと全部やれた気がする。それなりに。

でも一番できたことは、「自分の意見を言えるようになった」こと。しかしそれまでに30年も費やしてしまった。

もう今となっては、信じてくれる人はいないかもしれないけど、私は気が小さくて臆病だ。

厳格な母ひとり、子ひとり。小学生時代は、95点以下のテストを親に見せることが怖かったし、「子どもが疲れたとか言うな」と言われてて、そんなの絶対に疲れる。なんか嫌だな、と思ってはいたけれど、何が嫌なんだかわからないまま、人に心を見透かされるのが怖かった。

例えば、今日私はスーパーで、はんぺん、がんも、こんにゃく、からしを買ったのだけど、レジに行けば「この人おでん」と悟られる。そんな些細な予想されることさえ、怖くて嫌だった。

そういう買い物が嫌じゃなくなったのは、男の人と一緒に暮らし始めた頃からで、それはたぶん「自分が好きな人のため」の買い物をしているという「他人のための義務」により自己正当化ができていたんだと思う。

そんな生活もなくなって、10年前にメディアの世界を目指し始めたときも、やっぱり、他人の目は怖かった。「他人の目が怖いからうまく自分を表現できない」ということに気づくまで数年かかった。

打開できたのは数年間の人間観察で、結論は「私が気にしてるほど、他人は私のことなんか気にしてない」
私は自意識過剰だった。

だけど気が小さくて臆病な自分は死んだわけじゃなくて、いつもどこかにいる。
例えば、講座の講師をするときは、たかが数時間じゃ何も伝えられないって思いながらも、「伝わらないかも」とか「冷たい目で見られるかも」と前日から憂鬱だし、評価とかスキルとかって忌み嫌う自分に相反して、コミュニケーションスキルを教えて実習で批評したりしているという自己矛盾に陥って苦しい。そういうことを書いている今も、講師依頼をしてくれた人や、笑顔で受講してくれた人に申し訳ないなと、また苦しい。

そうしていると、頭の中で
「自己矛盾に決して陥らない横柄な講師よりなんぼもマシやろ」って最近息づいてきた強気の自分がいたり、
「スキルより、ノウハウという言葉で片付けちゃおうよ」ってちょっと前からいる調子いい自分の声が聞こえたり、
「よっ、楽天家!」と、冷めてて客観的な自分の声が聞こえて、そしたら
「あーあ、なんだろ自分」って、昔からいる気が小さくて臆病な私がため息をつく。

それで結局最後は「しかたない、今日は寝よう」または「しかたない、今日は酒飲んで寝よう」となる。

あほくさ。

それにしても、おっかしいなと思うのは、
子どもの頃の私は、いつかきっと、ちゃんとした大人になるんだって信じてた。
そのあと、20歳になったらちゃんとした大人なんだ、って信じてた。
20歳になって、今はまだだけど、そのうちもっとちゃんとした大人になるんだろう、とか思ってた気がする。

30歳になって、ちゃんとした大人なんて存在しないことに気づいた。
たぶん私の「ちゃんとした」=「完璧」だったんだと思う。

未だに私はちゃんとしたことなどないし、ちゃんとした大人にもまだ出会ってない。
私が大人かどうかだって怪しいもんだ。現実逃避?

ちゃんとしてなくたって、いいかげんだって、生きてていい。

ただ、世の中は、ある程度ちゃんとしてないと生きていけなくなっていて、とりあえずいいかげんでも生きてていいって仕組みにはなってないようだ。

おととい、乙女ハウスで、ただ生きていたいだけなのに、どうしてこんなにお金がかかるのか、って話をした。

あーあ。こんな時簡になってしまった。
しかたない、今日は寝よう。
来年が、そうそう良くはならなくても、少しでもよい年になることを願って寝よう。
by channelp | 2010-12-31 06:11
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