![]() 心は、見えない。 普段一緒にいても、何かを共有していると思っていても、心の中を開いて見せることはできないから、結局「共有している」は個人的な思い込みなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。 きっと、そうではない何かがある、と信じているけれど。 今回は、しっかりと、コミュニケーションの迷路に迷い込んだ。 たとえば、だれかに何かを渡す。 この前は、パンダ型に切り取ったダンボールだったし、今回は、書きかけの絵だった。 それを、こどもは受け取って何かしてくれるのだけれど。 でもそれは、受け取りたかったのかもしれないし、受け取らなければいけない、と判断したからかもしれない。 大人に何かを差し出されたら、「君はこれを使いなさい」と命令されたと感じて、従っているのかもしれない。 従うことは子どもの自発的な行動ではないから、私は強制的に子どもが創造する選択の範囲を狭めてしまったことになる。 ああ、目からウロコだった。しかし、そのとおりだ。 私自身も「いやだ」も「これで遊びたい」もあまり言った事がなかったから、すんなり大人の言うことに従ってきたけれど、自分で判断できず誰かに委ねてしまったり、意見を主張できないでいた期間も長かった。そのせいか、今は数年分の「いやだ」「これで遊びたい」が爆発している。大変アンバランスに育ってしまったものだ。こんなんでいいのか、とも思うが、どうしようもない。「いつも好き勝手でスミマセン」と風呂場でひとり反省し、すぐ反省を忘れるので意味が無い。 「いつも好き勝手でスミマセン」 話をワークシショップ会場に戻す。私は、2時間のワークショップで、どうしたらみんなが自然に何かを生み出せるのか、どうコミュニケーションすればいいのか、わからなくなった。 「それって私たちだって同じだよね」ART LAB OVAのヅルさんは、いつもこう言う。 笑ってたって、本当にその人が楽しんでるのか、誰にもわからない。2時間で誰かの人生に何か影響なんて与えられない。ここで何も生み出さなくても、何か記憶に残っていつか生み出せばいいな、と思うし。 10年間通ってきてる子もいるんだけど、最近やっとその子のこと少しわかるようになったの。人ってそういうものだよね。 すごい!その通りだ。 「私はこの人と同じ感情を共有している」って思い込んで疑わなくなることの方が、よっぽど怖い。みんな違う人なのだから、完全に同じ感情は、きっと有り得ない。 愛する人と、同じ感情を共有できないことがつらくて、同じ感情を共有している発言を求めて、やっぱり思い通りにならなくて苦しんでしまうことがある。 でも間違ってた。人はみんな違うから、完全な共有を求めてしまうことがまず、感情の押し付けなんだ。 コミュニケーションに答えはない。社会のあり方にも、答えはない。 だから果てしなく追求することができる。なんだか哲学みたくなってしまったけれど。 常に原点に返らせてくれる「ハチャメチャアトリエ」はとても魅力的だ。 この日、雨の新横浜の写真は撮れなかったのでART LAB OVAワークショップ・ボランティア募集のページに掲載の写真から拝借させていただいた。こんな足にはまだ出会っていない(笑)
by channelp
| 2009-05-08 02:52
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