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【報告】大熊町・いわき市の今。汚染物中間貯蔵施設を大熊町に(ふくしまフォーラムを支援する集い)

「ふくしまフォーラムを支援する集い」2012年5月25日(金)18 : 30〜@文京シビックセンター に参加した。
6月30・7月1日(土・日)にいわき市で開かれる「第1回ふくしまフォーラム」を首都圏から支援する集会である。
福島県双葉郡大熊町から会津若松市に避難している木幡(こわた)ますみさん・仁さん夫妻、NPO法人いわき自立生活センター理事長でふくしまフォーラム代表の長谷川秀雄さんの話を聞いた。

大熊町といえば、福島第一原発の町。町の予算の半分以上は原発によるもので、町の人口の半分は東京電力関連の仕事についていたという原子力ムラだ。
その大熊町民として、木幡ますみさん・仁さんが言うのは、

1.大熊町への中間貯蔵施設の設置
「大熊町の家には、もう帰れない(木幡さんの家周辺は9~10マイクロシーベルト/時。大熊町内の高いところでは70マイクロシーベルト/時。除染で一時的に線量は下がるがすぐに元に戻る)。これ以上福島を汚染したくない。(郡山市に運ばれた汚染がれき仮置場周辺の線量が30マイクロシーベルト/時に達し、周辺の住人は町を離れた)、一刻も早く国は大熊町への中間貯蔵施設を決めるべきだ。

2.政府への賠償請求
宅地・農地ともに、元々あったものと同等の完全保障(今現在の政府の賠償基準(非公式)では固定資産税による算出で同等とはいえない)。

3.被曝者健康手帳の発行
福島県民の医療費・通院費の無償化

現在、木幡ますみさんは、大熊町の明日を考える女性の会代表として活動。昨年10月、国会に出向き細野原発担当大臣と面会。細野大臣は「私達は(大熊町に)帰れますか」という質問に「帰れないでしょうね」と答えたという。「なんでそれを大きな声で言わないんですか」明確な答えはなかった。

木幡仁さんは、前大熊町議で、昨年11月に町長選に立候補したが、現職(町内の除染と帰還を公約)に1000票差で及ばず。今は署名活動などを続けている。

木幡さん一家が住んでいた家は築200年の木造住宅で、教育委員会から文化財にという話もあった。太い柱に支えられた家は地震の被害もなかった。(「原発立地・大熊町民は訴える/木幡仁・木幡ますみ共著」柘植書房新社より)

胸が痛かった。美しい山中の歴史ある家や故郷を捨て、もう帰らないつもりで、汚染物の中間貯蔵施設の設置に賛成する気持ちは、想像するだけでとても苦しい。

木村自身は、福島県内に中間貯蔵施設をつくることに賛成である。これまで蚊帳の外から、しかも東京電力の電気を使っている身でそんなことを言うと「これ以上福島を踏みにじるな」と言われそうで、言えなかったけれど。

「女は決めるのが早い。」ますみさんは言う。
「なんで家に帰らなきゃいけないの。町では牛や豚が暴れて家の中までぼろぼろ。誰が片付けるの。やりたくない。なのに男は「帰らないと先祖に悪い」と言う。男は家を守れと育てられたからか。特に宮仕え(=東電関係者のこと)は、頭の中も原子力ムラだから洗脳されたような使命感がある。「帰るぞ帰るぞ帰るぞ」ばっかり。」

ごく最近、大熊町民と細野大臣のタウンミーティングが行われた。当初、中間貯蔵施設に反対していたまわりの人も、少しずつ理解を示しはじめたという。

いわき市で福祉施設を運営する長谷川秀雄さんは、福祉施設オープンの4ヵ月後に震災が起き、周囲を仮設住宅に囲まれることになった。「同じプレハブなので、とけ込みましたね」と明るく話し始めた。いわき市での震災による死者は310人。そのうち、しょうがい者は35人。1割以上だ。しょうがい者の在宅介護サービスからの帰り道に地震が起き、カーラジオで津波警報を聞いたスタッフは「助けに戻るべきか」議論した。結果、戻らなかった。介助者がいない部屋でひとり、しょうがい者は津波に流され亡くなった。戻っていたら、一緒に流された可能性が高い。災害時、身障者の死亡率は健常者の2倍だそうだ。

現在、いわき市には双葉郡8町と南相馬市などから2万3000人ほどが避難しているという。ほかに原発作業員として1000人ほどが滞在。一方、いわき市から市外へ避難したのは7000人ほどだというから、この1年で1万7000人ほどの人が増加している。仮設住宅は建設ラッシュでもあり、市内は復興バブルだ。いわきニュータウン応急仮設住宅建設計画案もURから出ている。しかし一次産業の展望は見えない。仮設住宅に住む住人達の交流イベントも盛んだが、地元市民との軋轢はあり「今くすぶっている。パチンコに行けば避難者いっぱい。いい気なもんだ。などと言われている。避難者は事故前は原発でいい思いをしてきた分、胸をはれない状況。おそろしく思う。」

長谷川さんは熊本県水俣市を訪問し、水俣病発生から現在までの流れを取材している。「健康被害、政府の対応、地元住民の患者差別。水俣で起きたことは、これからの福島がたどる道なのではないか。ため息が出るばかりだが、現実と向き合うしかない。」淡々と語った。

6月30・7月1日(土・日)いわき市内で行われる「第1回ふくしまフォーラム」では、いわき市文化センターといわき市労働福祉会館の2箇所で、しょうがい者、避難者、労働者の被曝、食、介護、農業、エネルギー、東電への賠償請求、放射線教育など様々なテーマで全体会・分科会が行われる。「福島の人らしく、たっぷり時間をとって、当事者も含めて語り合う形式で進めたい。たとえ数人でも顔をつき合わせて話し合えたなら良いです」ふくしまフォーラム代表の長谷川秀雄さんはそう言うとにこやかに「明日は畑に種を撒くんです。東京から援農に来てくれる人たちがいるんです」。足早に帰っていった。

第1回ふくしまフォーラム 震災と放射能汚染をどう生きるのか
http://fukushima.socialforum.jp/
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by channelp | 2012-05-26 03:15 | BLOG
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